当たり前のことが、妙に胸に響いてくる瞬間があるものです。先日、医療経営に関する本を読んでいてのことですが、『これからは部分最適を見ながら、全体最適を見通せる「木も見て森も見る」医療者の育成が必要である』との文言に引き寄せられました。その通りだと同意しつつも、そんなことできるのかというネガティブな感覚が沸き上がったのも事実です。しかしながら、この提言は日々様々な情報を浴びている中で、私が漠然と感じていた肌感覚のようなものを呼び覚ましてくれたようです。
例えば、山形県庄内地域で展開されている地域医療連携推進法人化の動きは、過疎化・少子高齢化を見据え、地域全体でのコスト管理連結決算という発想で地域医療を守ろうとしています。まさに個々の医療施設を維持しながら全体最適を目指すモデルケースだと思います。また、最近ベストセラーになっている話題の本「君たちはどう生きるか」の中で、主人公のコペル君が、物質をかたちづくる分子のように、自分も世の中の大きな流れの中の1つに過ぎないことに気付くシーンがあります。自分の目線だけの部分最適な視点ではなく、もっと広いところからひとつの局面を見る全体最適な視点の重要性を説いているように感じます。
ただ、全体最適を考えるときに、個々の主体性というものとどう折り合いを付けて行くのかが問題となるように思います。医療者として、自分で考え自分で決めるという主体性は、現場で不可欠なスキルだと思うからです。医学教育に関する本の中に、主体性とは独りよがりな態度ではなく、他者との関係性を明確にして、自己を制御し自律してあること、そしてその上で他者と同じ方向を向き、チームとして動くことができること、とあります。また、主体性は一見矛盾する二つの行為を同時に行う大人の態度であり、勇気とかなりな程度シンクロする、ともあります。ということは、全体最適を実現するためには、むしろ個々の主体性が必須であり、対抗するものではないのかもしれません。
「木も見て森も見る」必要がある点では、チーム医療しかり、病院運営しかり、地域医療しかりであり、面倒な世の中になっていると感じます。だからこそ、医療者は部分最適の立場なのか、全体最適な立場であるのかを意識しながら、バランスの取れた「普通であることの勇気」を持つことが必要なのではないかと自問しているところです。冒頭の提言を私なりに咀嚼すると、まずは腰を据えて主体性を備えた医療者の育成に励むべし、となりそうです。情報の海に漂いながらも、ひとつの方向性を感じ取る機会をいただいたと思っています。
2018 年 5 月 10 日