日本病院会雑誌の「銷夏随筆」に投稿した内容です。「さわらび」の内容を少々膨らましてあります。ご一読ください。
「医師も労働者なのか?」、「本当かい⁈」などと騒いでいるうちに、働き方改革にしっかり対応しなければならない夏がやってきた感があります。
そもそも、私たちは何のために「はたらく」のでしょうか? その三要素とされているのが、①生計の維持、②自己実現(個性の発揮)、③他者貢献(社会貢献)と言われています。一説には、③に関連して「はた(傍)をらく(楽)にすること」と説明されることもあって、腑に落ちやすい解釈だと思います。
さて、労働と強く関連する経済学という学問は、1776 年に出版されたアダム・スミスの「国富論(原題:諸国民の富)」によって体系化されたようです。当時の英国は、貿易によって国富の増大を目指す重商主義に価値を置いていました。
このような時代を背景に、スミスは諸国民の富という原題の通り、富とは何か、何が国民にとって富にあたるのかについて述べています。この中で、貴金属こそが富だと考える重商主義を批判し、富の源泉は人間の労働であるという「労働価値説」を唱えました。また、あの渋沢栄一も「論語と算盤」の中で、「その富を成す根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。」と述べています。一部の人が儲かるのではなく、国民みんなが儲かって、国全体も富む、というような高いレベルで「はたらく」ということを考えていました。病院も然り、ですよね。働くことは、自分自身のためでもあり、当然他者のためにもなっていると、疑うこともなく信じていました。
ところがここに来て、ブルシット・ジョブ(BSJ)=クソどうでもいい仕事、なる考え方が出てきました。その定義は、「完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある雇用の形態」とされています。資本主義や効率化が進めば進むほど、「無意味な仕事=BSJ」が増えるというのです。これのミソは、働いている本人も己の仕事が他者貢献のない仕事のための仕事、と自覚していることです。今回のパンデミックによる経済停止で、社会的価値の高いエッセンシャルワークが注目されたことも、その主張の背景にあるようです。つまり、感謝や尊敬の念を込めて呼称されたエッセンシャルワーカーの存在が際立ったこと、この現象がBSJ という概念の浮上に繋がったという訳です。
私たちの仕事は、BSJ の対極にあって、自己効力感や自己主体感、そして他者貢献を実感できるエッセンシャルワークであり、「働きがい」に溢れています。この原点を基盤に据えて、如何にそこに「働きやすさ」を加えていくか、その環境を整えていくか、これが働き方改革の本質と捉えています。これにより、全職員のエンゲージメントの向上を実現し、適応力のある地域中核病院として在り続けたいと思います。
(2022 年 7 月 28 日)