昨年、十和田市で開催した全国学会の顛末記です。小生の出身大学同窓会誌に投稿した内容ですが、ご笑読いただければ幸いです。
十和田で全国学会やってまったじゃ
昭和 54 年卒 丹野弘晃
現在私は、十和田市立中央病院に勤務している。2023 年 9 月 14 日・15 日の2 日間、大会長として、青森県で初開催となる「第 49 回日本診療情報管理学会学術大会」を十和田市で開催した。当学会もコロナ禍の影響を受け、実に4年ぶりの参集型に、オンデマンド配信を加えたハイブリッド型で行った。同期・先輩・後輩の皆さんから、「えっ、お前が、十和田で、何で、何やっちゃったの?」と問い詰められそうだし、ちょうどタイミング良く原稿のご依頼もいただいていたので、この場を借りてその顛末を報告する。
まず十和田市とは
十和田市は青森県内で人口が青森市、八戸市、弘前市に次ぐ第 4 の市(6万人弱)である。ベスト 4 ではあるが、メダルには届かないという中途半端で忘れ去られてしまう存在かもしれない。鉄道、高速道路はなく、もちろん空港も港もないが、陸の孤島とは言わせない。自然豊かで文化の香りが漂う美しいまち、と表現したい。12 年ほど住むと、一市民としての地域愛も出てくるものだ。ただ、大変いいまちなのだが、宿泊キャパが小さく、アクセスが良くない。誰が考えても、大きな学会には不向きである。
十和田市は、約 165 年前に三本木原と呼ばれる荒漠たる台地を、新渡戸稲造氏の祖父である新渡戸傳翁のロマン溢れる開拓精神で切り開かれたまちである。奥入瀬川から水を引き、人工河川である稲生川を完成させ、不毛の台地開拓の基礎ができた。その後を稲造氏の父親である新渡戸十次郎氏が引き継ぎ、市街地の開発が進められ、京都を模範とし、道路を碁盤の目状に配置した方格設計を採用している。札幌市は、十和田市を真似て造られたとのことだ。毎年、傳翁の偉業を称える太素祭(太素とは傳の号)が開かれ、太素行列という大名行列のような催しが行われる。今年は知り合いでもある新渡戸家ご子孫に捉まって、私もご典医役で参加し、祭りに少しだけ貢献した。
学会開催に向けて
2021 年 6 月頃だったと思うが、机上の電話が鳴った。日本診療情報管理学会事務局からで、いきなり 2 年後の第 49 回の学術大会を私にやって欲しいとのこと。青天の霹靂とは、このことである。(青森県産の特 A 米である「青天の霹靂」はお薦めです。)だいぶ渋ったが、頼まれると嫌と言えない弱い男なので、つい承諾してしまった。その時点から、何か得体のしれないものに追いかけられている感覚が続いた。なぜ、そんな依頼が来たのか、ですよね。診療情報管理士を養成するために、通信教育スクーリングがあり、その基礎医学の講師を大学同期の友人(柄にもなく蝶を愛する N 君としておこう)がやっていた。その N 君から、まさに言葉巧みに依頼され、その役を引き継いでしまったのが、当学会と私とのご縁の始まりである。2009 年のことだ。その後、粛々と講義をこなしていたら、2013 年知らない間に評議員に推挙されていた。これはしっかりやらねばと思ってしまい、勉強し、2016 年私自身が診療情報管理士の認定証を取得した。それだけのことなのだが、まさか大会長を依頼されるとは、、、。すべて N 君のせいである。
日程は決まっていたので、まずは会場の確保である。詳細を聞くと、1000 人収容可能なホール 1 か所と 100 人収容の会議室 5 か所が必要条件とのことである。この役を引き受けてから、どうせやるなら十和田市でやりたいという強い思いがあり検討したところ、会場が 2 か所に分かれるがやれちゃうとのこと
で、早速押さえてもらった。宿泊・アクセスに不安はあったが、もう後の祭りである。当初、宿泊等の手配を地域の観光機構にお願いしていたが、当時はコロナ禍の影響で諸々の学会がドタキャンとなったり、完全 WEB オンデマンド配信になったりしていた。当学会もその煽りをくらっており、もしそうなった場合、地域の小さな観光機構では支えきれないとのことで辞退されてしまった。仕方のないことではあるが、地域力というのはこのような面でも関わってくることを実感した。
次は、メインテーマの設定である。これまでを振り返ると、大都市・県庁所在地で開催されているためか、総論的なテーマが掲げられている。かなり悩んだが、地方都市で開催することも意識して、「地域の医療介護情報を活用する~地域における診療情報管理士の在り方とは~」とかなり具体的なテーマに決めた。地域ごとに医療介護事情は様々であるし、医療と介護の境目もなくなりつつある。だからこそ、その状況に対応しながら、地域の医療介護データをあらゆる場面で、タイムリーに、情報として活用する必要がある。その専門家である診療情報管理士が、地域に根差したデータを集め、情報に加工し、自施設のこれからを導いて欲しいとのエールも込めたつもりである。このテーマ、そこそこイケてませんかね。
メインテーマが決まれば、それに沿った特別公演等の演者の選定である。これまで自身で聴講した講演の中から、メインテーマに沿った会員に聴かせたい講演候補者 4 名を選好した。面識のない方が 3 名もいらっしゃったが、手紙で依頼したところ全員が快く引き受けてくれた。自らの思いを率直に表現した手紙は、有効のようである。
これらの経過の中で、副大会長と大会実行委員の委嘱も同時並行で進めていた。第 49 回目にして、青森県での初開催学会であり、これはオール青森でやりたいと思った。そこで、副大会長には青森県立中央病院の藤野安弘院長と八戸市立市民病院の今明秀院長(その後事業管理者に昇任)に依頼し、ご承諾いただいた。実行委員については、県内すべての二次医療圏中核病院の院長先生に手紙でお願いし、推薦してもらった。これで、総勢 14 名の精鋭からなる強力な大会実行委員会が組織され、シンポジウムのすべてをこの委員会に取り仕切ってもらった。
そして、学会のイメージとして大変重要なシンボルマークとポスターの作成も必要である。これは、美術大学出身の当院職員が創作してくれた。自信作なので、そのシンボルマーク(図1)を紹介したい。中央に十和田市で開催される国内唯一の女性による流鏑馬競技「桜流鏑馬」のデザインを、十和田市を打ち抜くように組み込み、生産量日本一のニンニクと産品ブランドである十和田湖ひめますを配した素敵なマークとなった。

次に、学会開催にとって肝と思われる「広告・企業展示・ランチョンセミナー・寄付金」による資金集めである。これこそ病院・私個人等を含めた地域力の重要性を、身をもって感じて、最も苦労した点である。私としての頼みの綱は製薬企業であるが、すべての面で塩対応であった。確かに、診療情報管理となると薬剤との関連は薄く、いわゆるコンプライアンス上、難しいのであろう。しかし、その落ち込みそうな気持ちを救ってくれたのが、同門会・医師会組織・地域のかかりつけ医の先生方・地元企業様等からのご寄付であった。誠にありがとうございました。
もちろん、東京の学会本部によるこれまでの経験を踏まえた的確なバックアップがあったからこそ、実現できたイベントであり深く感謝したい。型のごとく演題募集等が始まると、懸念していたことが現実となった。やはり、宿泊・アクセスの問題もあり、想定より参加者が少ないために会費収入が見込めなさそうな状況とのこと。そこで、会場を 1 か所に集約化し、現地に来られない会員のためにオンデマンド配信の充実化を図りつつ、開催費用を圧縮することにした。私としては大変残念ではあったが、従来通りのやり方に拘って背伸びしても仕方がないので、身の丈に合った地方ならではの温かい学会にしようと、考えを切り替えた。そうしたら、背中に感じていた重しがかなり楽になった。
いよいよ学会開幕
光陰矢の如し、である。学会は予定通りに開幕し、大きなトラブルもなく、予定通りに進み閉幕した。大会長としては、開会の挨拶、直後の大会長講演等を何とかこなし、閉会の言葉で締めくくった。学術内容以外の推しは、初日の開幕時に桜流鏑馬の衣装で会員を出迎えてくれたその道の第一人者である上村鮎子さん、その夜行われた懇親会の席で、全国 B-1 グランプリでグランプリを受賞した「十和田バラ焼き」を会場で直接焼いて振舞ってくれた畑中宏之舌校長率いる十和田バラ焼きゼミナールの皆さん、同じく懇親会の場を歌で盛り上げてくれた十和田市在住のシンガーソングライター桜田マコト君であり、心より感謝したい。このお三方は、十和田市を世界にアピールしているスター性も兼ね備えた逸材であり、その地域力を高める活動は注目に値する。おかげで学会全体が、十和田色を前面に押し出したイベントとなった。また、次なる第 50 回の節目の大会が福岡市で開催されることが決まっており、その大会長の先生も懇親会に出席してくれていた。私は、桜田マコト君が福岡ソフトバンクホークスの応援歌「ボクたちのホームラン」を作詞作曲し歌っていることを知っていたので、懇親会の締めの歌で披露してもらった。会場はもちろん大いに沸き返り、次期大会長が矢も楯もたまらずステージに駆け上り、マコト君に握手を求めるという、思いがけない演出となった。私としては、二塁打程度のいい繋ぎができたと自画自賛している。
まとめに代えて
学会を終えて、ただ「感謝」の一言である。現地参加が 614 名、現時点でオンデマンド配信受講者が 540 名、計 1154 名の学会になった。地方の小都市で無理やりやってしまったが、関わってくれた当院職員が「楽しかった!」と言ってくれたので、やった甲斐があったのかなと思う。結びに、まったくの偶然であるが、当学会のちょうど 1 週後の 2023 年 9 月 21 日・22 日に親学会である「第 73 回日本病院学会」が、同期・同門の仙台オープン病院院長土屋誉学会長の下、仙台市で盛大に開催されたことも報告しておく。お疲れさまでした。